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Dooard -ドアーズ- (4)
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ラジオ体操第一!
プレーヤーから(もちろんカセットテープ。この家にMDだとかそんな今風の──というよりは、未来風の──ものは存在しない)流れ出てくる体操お兄さんの声は、十年前も何ら変わらず、勃々たる士気でオレたちの体操を促してくる。旧石器時代から現役でした、とも言い出しかねなさそうな貫禄だ。生涯体操一筋、という固陋さまで垣間見えるほどである。
イチ、ニ、イチ、ニ、とそのお兄さんの掛け声に合わせながら、腕を左右にぶんぶんと大きく振る。この体操がオレの身体にどんな効果や影響を与え、どうオレの身体を改善してくれるのかなんて知ったことではないけれど、お兄さんの声に追随して体操しなければスピーカーの向こうから「やる気のない奴は即刻退場!」という怒声が響いてきそうな気さえするので、オレは一心に腕を揺さぶった。イチ、ニ、イチ、ニ。
「腕と同時に、かかとも少し上げるんだぞ」
そんなオレを茶化すように、後方の縁側でくつろぎながらロイが横槍を入れてくる。手につまんだティーカップには、アッサムの葉で淹れたらしいミルクティーが艶麗な湯気をたたえている。
「うるせえな、こんなのはな、気分なんだよ、気分っ」腕の振りによって、声も自然と弾んでしまう。「大体、かかとを上げたところで、どんな効果があるっていうんだ。お肌がスベスベにでもなるのか?それとも便秘解消か?EDでも治るか?」
オレの下世話なネタにも動ぜず、ロイは少し考え、アッサムのミルクティーを典雅な所作で一口啜ってから、「刹那的に、お前の身長が、やや伸びる」
「そりゃ上げるべきだな、ガンガン上げるべきだ」
オレはロイの意見に諾々と従い、せっせとかかとを上げた正しいラジオ体操を、燦々と降り注ぐ陽光の中で踊った。
青々と色づき、生気を剥き出しにした葉が太陽の容赦ない日差しを反射する。その噎せ返るほどの緑は、あまりにも愛おしげに太陽を仰いでいた。あなたなしでは生きていけない、だって光合成ができないもの、と跪いているようでもあった。
腕を左右に振りながら、大丈夫だよ、とオレは音もなく呟く。
大丈夫、十年後も、空に太陽はちゃんとあるから。
オレのその呟きには、絶対的な信憑性があるのだ。
Dooard -ドアーズ- (4)
〔50万打&一周年記念フリー小説〕
手中にあった、黒光りするコントローラーを床に放り投げた。「飽きた」
落下したコントローラーが、ガゴン、と若干不吉さを内在させた音を鳴らしたので、隣にいたロイは眉を吊り上げる。壊れたらどうする、という顔だ。しかしながらオレに、もともと半分壊れているようなポンコツゲーム機を労わってやる義理はない(だって正常にゲームが開始されるまで、最低五回はリセットしなくちゃならないのだ、義理どころか、多大な焦燥をオレに植えつけてくれている)。だからオレは言う。「このポンコツを労わるなんてな、納豆に防腐剤を入れるようなもんだ」
ロイは黙ってゲーム機の電源を落とし、それから、寝そべったオレの腹にも軽いパンチを落とす。
オレは腹部を押さえながら抗議する。「な、なぜ、殴る」
ロイは本体からコントローラーを引っこ抜きつつ、こちらを見もせずに答える。「落ちてくるのが、パンチとキスと、どっちのほうがマシだ」
「君の優しさに感謝する」オレは観念して瞼を閉じた。
嘘みたいな話だけれど、嘘であれば最高な話だけれど、オレは現在、未来からやってきた未来人、ということになっている。らしい。どうやら。そういう訳で、迂闊に外出ができない。十年前のオレ、つまり現在を生きる八歳のオレ、ややこしくて申し訳ないけれども、その八歳のオレを知る人物に出くわしたら、世間は大パニックに陥る可能性があるから。というのは、ロイの説。
オレだってUFOごと墜落した宇宙人よろしく、奇怪な研究所に囚われてあちこち(足の先から乳首まで、だ。考えるだけで涙が出る)隈なく調べ上げられるだなんて言語道断だし、大人しくそのロイの説に従っているのだけれど、家の中というのは、常に『莫大な退屈』と隣り合わせでいなくてはならないということに、今更気がついた。とりわけこんな、だだっ広いだけで、部屋数を持て余しているだけで、掃除が大変なだけで、単なる巨大な埃の貯蔵庫になっているだけで、大した書斎も蔵書もない家だったら、なおさらのことである。
ロイの部屋を漁りにあさってこのポンコツゲーム機様々を発掘したときには、サハラ砂漠で井戸を発見した放浪者のごとくオレは歓喜に打ち震えたけれど、それも今となっては、やりこみすぎてすっかり飽きてしまったのだった。
「あー、オレはもはやぷよぷよのプロフェッショナルだ」フローリングの床に背中を貼り付けにして、嘆いた。「極めた。極めすぎて、飽きた。なんか他に、室内でできる遊びねーのかよ」
ここのところ室内にこもりっきりだったので、オレは努めて日光を浴びようと毎朝、この家の庭でラジオ体操に励むようにもなった。
「あやとり、」寝惚けていないはずのロイは寝惚けているとしか思えないことを言った。「とか」
「あやとりね。なるほど、うん。素晴らしい。却下」
「トランプ、」指折りしながら、寝惚けたロイが列挙する。「とか」
「それももう散々やった」床に力なく横たわりながら、オレはひんやりとしたフローリングに頬をすりよせる。「今のオレなら、ロイヤルストレートフラッシュを念力で出すことも出来る」
ロイが淹れてくれた紅茶がわきにあることを思い出し、床を這うようにしてカップへ手を伸ばして、口をつけた。だいぶん冷めてしまっている。
「あとは、」うーん、とロイは空間を見つめるような、思索を深めるような、そんな顔をしながら、続けた。「セックス、」ロイは寝惚けていない、はずだ。
ぶっ、とオレは紅茶を噴出す。アッサムで淹れたミルクティーの白濁した液体が、フローリングを無遠慮に汚した。
とか、とロイは変化のない調子で言いつめる。
「・・・・ハイじゃあそれを二人でやりましょう、っていう話の流れになると思うのか?」口角から垂れる紅茶を拭いもせずに、オレはロイを見上げるようにして睨んだ。
「そもそも、遊びでもない」
まあ、それは人の価値観によるだろうけれども、とオレはうなだれてから、顎から滴り落ちそうになっていた激甘アッサムティーを拭き取った。
でも、とロイは駄々でも捏ねるかのように続ける。「でも、暇潰しにはなる」
ロイ、早いとこ目を覚ましてくれ、とオレは思う。「なら、一人でしてろよ」
張り切りすぎたラジオ体操で少しだけ筋を痛めた腕が、じくりと不調を訴えた。ロイの倫理性に欠けた発言に気分を悪くしたのだろう、間違いなく。
灯台下暗し、という諺がこういうケースに当てはまるのかどうかは定かではないけれど、妙案というのは意外に当たり前のことすぎて気付かなかったりする。
そのオレの脳内の灯台が照らしきれなかった「下」の部分に落ちていた妙案を、オレは冷たい床で三度寝返ったときに、やっとのことで見つけ出した。
「あ」目からウロコの感動は、こんな間抜けた声と共にやってきた。「つうかさ、」オレはもう一度寝返って、右側にオレと同様に横たわったロイを見る。「変装すればよくね?」
「ヘンソウ、」ロイは漏らす。「確かに室内でできる遊びかもしれないが」
彼が「ヘンソウ」を正しく「変装」と変換できているのか、不安だった。ロイの妙な話の展開を見る限り、変奏、とでも履き違えているのかもしれなかった。オレは「変奏」に、室内での暇潰しとして、生半可な気持ちで挑戦するつもりはない。だからオレは懇切丁寧な説明を添えてやることにする。
「変な服装の、変装、のほうだぞ」
ああ、とロイは間延びした声をあげる。そっちね、とも言った。こいつは本当に寝惚けているのかもしれない。「変装して、外出すればよくね? ってことか」
オレの話し方を真似て、揶揄でもしているつもりだろうか。そんなもん、効きやしない。オレの眼前には今、一筋の希望の光が差し込んでいるのだ。「その通り」
「ああ、」とロイはもう一度言った。「それもそうだね」
「何、君、眠いの?」
「いや」彼は緩慢な動きで首を振る。「莫大な退屈というのがいかに人間の生気を吸い取っていくか、身を持って体感していたところだ」
「いい経験だな」オレは凛として立ち上がった。「オレの辛さを少しは君も味わうがいい」
オレは言い切り、マスクが入っていそうな棚をシラミ潰しに探し始める。
***
一ヶ月ぶりにオレに与えられた日光は、否、ラジオ体操のときなんかも勿論日光と接触していたわけだけれど、体操のときのそれは人目を憚りながら、というか、非合法的に、というか、とにかくすっきりとした清純な心地で甘受した日光ではなかったので、今、オレの頭上に降り注いでいるつまりは“合法的”な光は、今すぐにでも同化して溶け合ってしまいたくなる程感動的で且つ素晴らしいものだった。大仰なサングラスによって景色が黒ずんでしまっているとはいえ、オレの掛けているサングラスのフレームで切り取られた景観は、驚くべき種類の色と惜しみない光が充溢し、いっそわざとらしいぐらいに輝いていた。なんて、こんな冗長な感想をありのままに叙述しなければならないほど、オレは感激したのだ。
「一ヶ月ぶりの外出はどうだ」ロイは横目でオレを見た。
地面の近さに驚いたし空の遥かさにも身が竦むほどだったし、それはもう口の中にありとあらゆる感嘆詞がひしめき合ったけれどそれらをうまく全部述懐できる自信はなかったので、とりあえず言った。
「これは、」オレはサングラスを一旦外してみた。光彩が瞳に溢れる。「射精感に似ている」
「十年後に戻ったらまず、お前にはより美しい比喩を学んで欲しいな」
気恥ずかしいほど感激してしまっている自分を、そんな下卑た比喩で紛らわそうしたのだ。弁解すれば。
下ネタが流行ってるのか、とロイは呟く。流行らせたのは誰だ、とオレは呟き返す。
オレはただ外に出る、ということが一義的な目的であったので、目的地というものは取り立ててなく、電車に乗り、市街地へ向かい、街の喧騒の内部へわずかな遅疑も無く果敢に突入していったロイの後ろを金魚のフンよろしく付いて回った。
十年後に生きていたオレにとってみればかなり時代錯誤な服装を纏う人々が左右を行き交い、それでも街の賑やかさは十年後もそのままの風情で、なんとはなしにオレをじんとさせた。それから少しむなしくもなった。人間って、本質的にはなかなか成長しないんだな、というふうに。詩人か哲学者にでもなった気分だ。
サングラスにマスク着用のオレは論ずるまでもなく人々の注目を独り占めしていたがしかし、それでもオレはたいへんご満悦であったので気にも留めていなかった。思う存分見るが良い、我こそが未来人、と肩を怒らせて街を闊歩したいほどだった。
ロイが何気なく紅茶専門店に入っていったのは、オレがこの世に紅茶専門店なるものが存在するという事実を知った瞬間と同時だった。なるほど新境地だ、なんていう思いを抱えながら興味本位と好奇心に足を突き動かされ入店してみたのも束の間、壁際に並べられた多種多様な色と形を成した茶葉たちに気圧されて数分で出てきた。その葉たちが異口同音に、「茶葉に不案内なやつは帰れ!」と詰め寄ってくるようだったのだ。そんな茶葉たちの拒絶を受けたりしていないらしいロイは依然として茶葉選びに没頭していた。粒状の黒っぽい葉を品定めするように凝視している。
あの丸い葉はなんなのだ、とオレも店の外から、ロイの刮目する茶葉に視線を当てた。そのとき、だった。
あそこだ、だか、あいつだ、だか、鮮明に聞き取ることはできなかったが、とにかく壮大な不穏さを包含した声音が遠方で響いたかと思うと、その数秒後にオレは、うつぶせの状態で頭やら背中やらそこらじゅうをコンクリートに押し付けていた。それに気がついてオレはまずニュートンに問うた。「重力ってこんなに乱暴だったかよ?初耳だぜ」。
しかしオレの身体をコンクリートに押し付けていたのは暴戻な重力ではなく、精悍な面魂を宿した数人の男たちだった。
為されるがまま悲鳴をあげることもままならなかったオレが必死に顔を動かして店内を見遣ると、ぽかんと口を開け放して唖然とするロイが突っ立っていた。丸い茶葉が入ったビンを手にしている、どうやら購入したらしい。
とうとう連行されるのか、とオレは、藁をも掴むような思いで見たロイが完全にスイッチオフなのを確認するやいなや、諦観に駆られた。連行されて、服を剥がれて、頭の先から足の先、背中からへそから乳首まで調べ上げられるのだ、と思う。死んだほうがマシだった。拷問のほうがマシだった。
そもそも元を辿れば、どれもこれもあのくそ親父のせいなのだ、とオレが歯軋りしている間に、オレを取り押さえた奴らは手錠を掛け、「現行犯逮捕!」とかなんとか言いながらそのままずるずるとオレをパトカーへと引き摺っていった。
現行犯?ってなんだっけ?頭を駆動させる気力も無かった。
あの丸い茶葉はなんだったのだ、なんていう紅茶だ、美味いのか、とこんな状況下で、ただそればかりが頭を占拠していた。
警官らしき男たちに挟まれて後部座席に座るのは、ひどく肩身が狭かった。
貴重な実験材料なんだから、もうちょっと丁重に扱っても良いものではないのか、とオレは茫々と考える。
すぐに警察署が見えてきた。実験はここで、秘密裏に行われるのか。
「警察署で?」オレは我知らず間抜けた声をあげた。左となりの警官がオレを睨んだ。
やっぱり、未来人は、マスクをしてもサングラスを掛けても無意味なのか。そういうオーラというか、どこか次元の違いを感じさせるなにがしかが否が応でも放出されているのかもしれない。だからばれてしまったのだ。
十年後の、タイムスリップしてしまう前の、あの夏休み最終日を思い返した。夏休みが終わる、そんな憂鬱な日であったはずなのに、今更、たまらなく愛しくなった。
(あの小さな時計に、触れさえしなかったら)
痛いのはやだな。茫洋とした靄の意識の先で、最終的に行き着いた答えは、それだった。
***
結論から言えば、オレは半日もせずに解放された。解放というよりは、釈放、という表現が近いけれど。
オレが連行された理由は未来人であることが露見したからではなく、オレが紅茶専門店の前でロイの帰りを待っていたあのとき、時を同じくしてすぐそばの銀行で強盗事件が発生していて、被害者達の証言による犯人像とオレの格好が酷似していたから、ということらしかった。サングラスにマスク、金の長髪、というただそれだけの理由で、だ。オレは死も覚悟したというのに。とんだ傍迷惑な話だった。
後から駆けつけたロイが必死に事情を説明してくれたが、それでもオレはなかなか警察署を離れることが出来なかった。だって、彼らの質問にオレは、何一つ答えることが出来なかったのだ。
名前くらいは述べても平気かと判断したけれど、住所も、電話番号も、職業も、誕生日も、年齢も、何一つ、明かせなかった。一つでも明かせば芋蔓式にオレの異様な身分や立場が白日の下に晒されて、それこそ奇妙な実験場送りになっただろう。黙秘権の行使というのも、相当な体力の消耗をもたらすらしいことを初めて知った。
数時間後にやっと真犯人と思しき男が連行されてきて、そうしてやっとオレは警察署という物々しい佇まいの建物から逃げ出すことができたのだった。
帰りの電車に揺られながら、ああ、オレは一人なんだ、なんて、今更過ぎる思い、それが強く、とても強く、オレの脳で浮かんでは、焦げた。
誕生日さえオレにはない。という、絶対的な孤絶感。
悲しいとか、そんな次元じゃない。ただ、こわかった。
そんなオレを、ロイは横目でちらと見る。でも彼は、何も言わずにいる。
憔悴しきった、満身創痍みたいなオレを引き摺ってロイは自宅のリビングへ入り、さっそくたっぷりのお湯を沸かして、ティーポットを温め始めた。それは一日に何度も、何度も、行われる行為だった。彼にとっては呼吸のように、まばたきのように、当たり前のことなのだろう。そんなものが、呼吸とまばたきのほかに、オレにはあっただろうか、と意味もない事を考える。考えながら、高そうなソファに沈む。
ロイは買ってきた粒状の茶葉を丁寧な仕草でポットへ落としている。オレはちょっと柔らかすぎるくらいの、身体が沈みすぎてしまうくらいの、そんなこのソファに身を預け、両瞼の上にゆるりと片腕を寝かせながら、ロイのほうを見もせずに問う。
「それは、なんていう葉」
「アッサム。今朝も飲んだろ」
「ああ、それが」そんな姿をしていたのか。
また室内に沈黙がおりる。オレもロイも、それから、このソファも、艶のある太い柱も天井も埃も、カーペットに棲みついているだろう小さな小さな虫たちも、一斉に口を噤んで、その沈黙を守っているかのようだった。おそろしい協調性だった。部屋ではただ、ロイの鳴らす湯を注ぐような音だけが響いている。
そのおそるべき協調性を破ったのはオレだった。
「・・・何も、答えられなかった」
薄暗くて、とても狭く、どこか威圧的な、あの取調室を思い出した。厳かな面持ちでオレに質問を投げかける警官が網膜に浮かんだ。あまり良い追憶ではなかった。
ロイは黙って、ポットにティーコジーを被せた。
「オレは誰だ?」瞼の上にのせた腕はそのままにした。熱い液体がこみ上げてきそうだったからだ。「住所も、職業も、帰る家も、誕生日さえ、オレにはない」
オレはエドワード・エルリックなのか。それなら今を生きる八歳のオレは誰だ? オレはなんだ。この世界の空気に、感覚に、秩序に、微塵も馴染めない、ただの異物じゃないのか。
(あの小さな時計に、触れさえしなかったら)
「エイリアンだよ、オレは」
言ってしまった後で、無性に泣きたくなった。もうどうにでもなれと思って、やみくもに口を動かした。
「オレはこの世界のどこにも馴染めない。何も証明できない、漂う亡霊だ。存在しているというだけで酷い苦痛だ。生きているというだけで否応なく、絶対的な孤独が伴うんだ。二ヶ月って長いな。けっこう辛いな。帰りたいんだ。ここは異常だ、いや、ここは正常なんだ。異常なのはオレだ。わかるかよ、なあ。わかるかよ、お前に」
ロイは静かにこっちを見ている。ああ言いすぎたとオレは後悔する、よくあることだ。オレは元来馬鹿なのだ。
「でも、お前がいてくれて良かったよ、とりあえず」
ロイがいなかったら、もうとっくに死んでたな。と思って、オレは無音で自嘲した。
ロイは出来上がったらしいアッサムのミルクティーを、ソファの側にあるテーブルにそっと置いた。「俺には、何一つわかんねーよ」俺は古い人間だからな、お前にとっては十年前の時代に生きる古い人間だ、とロイは薄く笑って見せる。「でも、」ここで彼は言葉を区切った。
アッサムの紅茶は素晴らしくグレイトなクリームブラウンだった。カップにはたっぷりの幸せが注がれている。そんな感じだ。ロイは言葉を継ぐ。
「でも、誕生日も住所もなくて、それでもってエイリアンでプー太郎のお前が、そんなお前でも、俺は結構、すきだよ」そう言ってロイが優しく微笑んだりする。「なんのオプションも設定も付属品もないありのままの、ただの人間としてのお前を気に入ってる」そう言ってロイが柔らかく目を細めたりする。「煩雑なものがない分、わかりやすくていいじゃないか」
そう言ってロイが、オレの両瞼の上に乗っかった腕に手を置いたりする。
超絶危機的状況下のオレにそんなことをするから、オレはやっぱり涙が滲んでしまうし、ロイがどうしようもなく輝いているように感じた。
オレが瞼から腕をどけると、ロイの手はオレの目元に擦り寄った。「涙を我慢すると、目が赤くなるのは不思議だよな。透明なものを塞き止めてるはずなのに、なんで赤くなるんだろうな」
つまり、オレの目が真っ赤だという事を、こいつは言いたいわけだ。憎たらしいやつだ。
「泣いてもいいかな」オレは言う。
「十年後どうなってるかは知らないが、現代では、どんな人間も基本的に泣いていいことになってる」もちろんエイリアンも、とロイはオレをからかうようにした。
はは、とオレは気の抜けた笑い方をしてから、「そりゃよかった」と言い詰める。涙は瞼の本当に一ミクロン手前くらいまでやってきて下睫毛なんかは既に少し濡れてしまってはいたけれど、どうにか涙はそれくらいで堪えることができた。もちろんエイリアンも、というロイの冗談が効いたのだろう。
「・・・なんかさ、すごい」
オレが脈絡もなく話し始めたので、ロイは不思議そうにちょっとだけ目を見開いた。
「なんかすごい、今、ロイがきらきらして見えるんだけど、格好良く見えるんだけど、」赤らんだ眼球でわきに腰を下ろすロイに焦点を合わせる。本当にきらきらしていた。なんだこれは、と思う。「これが、いわゆる、吊り橋効果ってやつかな」
危機的状況下で出会った人とは恋に落ちやすい、だとかいう、あれだ。もしそうなら、たまったものではないけれど、それでもロイを覆う訳の分からないきらきらは褪せることが無かった。
ロイはきょとんとした顔をしばらく呈していたが、思いついたように口を開いた。
「決め付けるのは良くないが、」
そしてオレの沈むソファの上にのし上がってきた。オレはなんとはなしに危険を察知して身体をよじろうとしたら、腕を押さえ込まれた。あれ、と思った。何かおかしいぞ、と。
「試してみることはできる」
断言のような口調で言い切って、えっ、と狼狽するオレがもがこうとしたそのときに、唇を塞がれた。キスされた、とやっとオレが意識したころには、舌が滑り込んできていた。オレはうめくしかない。
アッサムティーがテーブルの上でさみしそうにしている。唇や舌を向けるべき対象をロイは間違ってはいないか。口蓋をざらりと舐め取られながら、そんなことを思った。
唇が離れるとロイはごく至近距離で言葉を紡いだ。
「だって、」ロイの指がオレの口唇に触れる。「俺もだいぶきらきらして見えたから」
オレはロイの人差し指がすっと自分の下唇を掠っていくのに連動するようにビクリと身体を強張らせる、なのに、嫌な感じがしていない自分に驚いた。おかしい、こんなのは、おかしいはずだ。
「つッ、」声が裏返ったのも気にしないことにした。「吊り橋効果、かな」
ふ、とロイはオレの上で優しいようなそれでいて意地悪な笑い方をした。「そうだな、」ロイが頷くと彼の前髪が鼻先で踊った。「そういうことにしとく」
「そういうこと」にしといたらしいロイの手が、服の中に滑り込んできた。ひゃ、とか、ぎゃ、とかそういった類の声をあげるオレが思考していたことといえば、精精、さっき汗かいたから汗臭くないかな、とか、お風呂とかはいいのかな、とか、吊り橋効果恐るべし、とか、そんなレベルのことだったので、後から考えれば、泣きたくもなった。
目が覚めたら、オレの身体は、ロイのベッドの上だった。頭の斜め上には、スキンを包んだティッシュの塊が置いてある。そして隣には、寝息を立てるロイがいる。更に、お約束どおりというか、こんな「お約束」がある世の中なんてあまりに世知辛くてオレは生きていける自信がないけれどそれでも、やはりというか案の定というか、オレもロイも一糸纏わぬ姿で、どうしてくれようか、とオレは布団の中で腕を組む。なんていうのは嘘で、どうしてくれようか、なんてまともな姿勢で現状に立ち向かえるような気概はオレにはなく、とにもかくにもひたすら、うろたえた。
まずはあったことを思い出そう、と決めて、三秒でやめた。下半身が鈍い痛みを訴えていることはわかった。下半身のどこが、というのを特定するのは怖ろしかったので、とてもできなかった。喉まで微かな痛みを覚えている。なんでだ。どうしてだ。
隣にある寝顔を盗み見る。白い肌だ、長い睫毛だ、静謐な寝息だ。どくり、と身体の核が疼いてしまったことが、いやでもわかった。
がばりと粗野な動作で布団の中に潜った。ん?とロイが起きる声がした。
オレはエイリアンだ。言い聞かせる。
オレはエイリアンだ。繰り返す。
エイリアンが、エイリアンなのに、エイリアンのくせに。
(あの小さな時計に、触れさえしなかったら、)
こんな史上最強の危機的状況に陥ったりはしなかった。
仮に、吊り橋効果だろうが一過的な勘違いだろうが、若気の至りだろうが、知ったことではなかった。
恋をしてしまった制限時間あと一ヶ月のエイリアンは、まず最初にどうすべきだ?
*TO BE CONTINUED*
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